古い記録〜「あの戦争上巻より」
開戦から3ヶ月半の頃、昭和17年3月23日ー29日の出来事のご紹介です。
関門トンネルが開通
下関ー門司を結ぶ世界初の海底トンネル「関門海峡トンネル」全長3614mが貫通したニュースです。
昭和11年9月19日の起工式から約5年半、6月11日から貨物列車、11月15日には旅客列車の運転が始まるとされています。
関門トンネルはあの”ブラタモリ”でも紹介されていましたが、私のような九州に住む者にとっては幾度もその恩恵にあずかっているトンネルです。
私が初めて通ったのはおそらく生後1ヶ月過ぎ頃、母の実家である福岡で産まれて東京の家に戻るために通った上り線でしょう。
また記事には、掘削中、海峡で4000トンの貨物船が座礁する事故があったとの事で、船が海底の土をえぐり、深さ3メートルの大穴があいた。
関門トンネルは海底わずか10メートルという浅い場所を掘削しており、工事関係者は真っ青になったとあります。対応策として、急遽穴に石材を投入して埋め、崩壊を防いだ様です。
その他証言として、あまりに浅いため、作業を休んでいると、トンネル内にいても海峡を通る船のスクリュー音が聞こえる事もあったそうです。
恐ろしく感じますね。
その他「新幹線工事も始まっていた」との記事も。
戦争で物資が欠乏し始めたにもかかわらず鉄道省は新幹線計画を進め、関門トンネルの次には日本と朝鮮半島を結ぶ朝鮮海峡トンネルの工事も計画していたそうです。
当時の技師、渡辺貫技師は、数々の困難を克服して完成させた事により自信をつけていた様で、「この技術を総動員すれば、朝鮮海峡トンネルも決して不可能ではない。」と語っています。
技師の名前すごくないですか?
トンネルを掘るために!!みたいな名前。
たまたまですかね??
実現していれば平均時速150キロの列車で2時間半だったそうです。
関門トンネル貫通の一週間前の3月20日には、静岡県熱海口で、東京下関を結ぶ新幹線新丹那トンネルの起工式が行われたそうです。
戦時中にも関わらず積極的に動いていますね、軍事面でも必要だった側面があるのかもしれませんが。
東海道本線の熱海駅〜函南駅間にあるトンネルで、総延長7804m、昭和9年に開通したものですが、その難工事は凄まじい湧水との闘いで犠牲者67名にのぼり、またトンネルの上の大地「丹那盆地」は豊富な地下水や湧水で稲作や山葵の栽培が盛んでしたが、トンネルにより水が枯渇してしまい、鉄道省からの補償により酪農に職替えしたそうです。
また工事中に北伊豆地震M7.3が発生してトンネルも横に2mだかなんだかズレて、綺麗に断層鏡面が現出したそうです。
この話は、作家の吉村昭氏、闇を裂く道を読んでみては如何でしょうか。
私はこの作家さんの小説はとても好物でして、その筆をとる姿勢に頭が下がります。
この様に綿密に取材した上で、納得のいくまで探求して書き起こしてゆく作家さんはもう...
最近のベストセラー作家さん方の本を手にしないのはこういったところなんです。
話が本題から外れてしまいましたが
新幹線建設については、昭和15年1月の議会で建設予算約5億5600万円が認められ、ルートの測量はすでに14年から。17年度末には殆どのルートが決定したそうです。
戦争に負けて、国土と国民は疲弊し困難を極めましたが、戦後急に発展した訳ではない事がよく理解できますね。
またトンネルつながりで、先にご紹介した吉村昭氏の、高熱隧道もおすすめです。
こちらはあの黒部ダム建設の資材用に掘られたトンネルでの難工事を小説化したものです。
映画の黒部の太陽という映画化された小説もありましたね、、こちらは読んでいないので、その名前だけしか分かりません。
こちらも、おすすめです。
では、今回もご購読頂きまして感謝申し上げます。