鹿児島のカルデラ 〜危険なのは鬼界カルデラ〜再掲載
ちょうど一年前程に記載した鹿児島の喜界カルデラについて再掲載しました。
理由は先日アメリカ合衆国マイアミ大学の研究チームが発表した論文を読んだ事がきっかけです。
論文によると桜島を形成しているその元である姶良カルデラと霧島火山群の異なると思われていたこれらが同じマグマを共有していたとなっています。
距離にして50キロほど離れているでしょうか、霧島では現在新燃岳がレベル2の活動状態で桜島と共に活発です。
以下にURLを貼りつけておきます。
という事で以下再掲載です。
さて今回はカルデラについて非専門家の視点から書いて行こうと思います。
まず鹿児島のカルデラとしては
あの桜島の本体ですね。
直径約20キロ、桜島マグマの供給源として考えられていますが、最近にはこんな説を唱える学者もいます。
鹿児島大学の准教授で、火山地質学者の井村隆介氏は、2014年10月8日、IWJにインタビューに応え、「姶良カルデラが巨大噴火を起こしてから約3万年間。毎年0.01立方キロずつマグマが溜まってきたのであれば、現在、300立方キロ溜まっていることになる」と分析した。
姶良カルデラは形成期として3万年前の大噴火(姶良火砕噴火)だとされていて、今では単一のカルデラではなく、「大崎カルデラ」「若尊カルデラ」「浮津崎カルデラ」など複数のカルデラの複合体だそうです。
現在でも国道10号線沿いの竜ヶ水地区などは、この姶良カルデラの外輪山の一部だと聞いています。
桜島はその後2万6千年前に現出したそうです。
その桜島からちょこちょこ噴出させてるのにかかわらず、それ程を溜め込んでるとすればおそろしい事です。
・阿多カルデラ
阿多カルデラは、姶良カルデラと鬼界カルデラの中間に位置するカルデラです。
阿多北カルデラが約11万年前の大規模噴火により阿多テラフが噴出し陥没、その直後南部でも陥没が発生、その南部カルデラ内に鷲尾岳、清見岳など指宿火山群が形成さて、約5500年前阿多南部カルデラ西北縁部で大噴火が起こり池田湖(池田カルデラ)が形成されたそうです。
その後間もなく山川湾、鰻池、成川盆地、池底、松ヶ窪などの噴火口群が相次いで形成されました。
薩摩富士で有名な開聞岳はそれから後に鍋島岳と共に形成されて現在に至っています。
この写真は魚見岳(標高215m)からみた地林ケ島です。ここからの眺望の良さは抜群で、頂上付近は公園となっています。
またこの魚見岳も指宿カルデラの一部とされています。
因みに「指宿カルデラ」とは阿多カルデラの別称とも言われているので同列に記載しました。また、池田湖を形成した池田カルデラ(直径約5km)も阿多カルデラ内部という事で割愛しています。
・鬼界カルデラ
そして鬼界カルデラ!
約7300年前の縄文時代に大噴火を起こした鬼界カルデラ。このカルデラを形成したアカホヤ噴火は凄まじく、地震、津波を引き起こし、火砕流は海の表面を時速数百キロで走り渡って南九州一帯を焼き尽くしました。
また鬼界アカホヤ火山灰、火砕流と同時に上空に巻き上げられて降下した噴出物は偏西風によって東北地方まで到達しました。
これによって南九州から縄文文化が途絶したそうです。
この鬼界カルデラについては、神戸大学海洋底探査センター教授の巽好幸教授らによって、海底に巨大な溶岩ドームが形成されている事が解明されています。そしてその溶岩ドームの溶岩は7300年前の溶岩の一部ではなく、その後新たに供給されたものだそうです。
破局噴火と呼ばれるカルデラ噴火は、この国で約6千年とも1万年ともいわれる周期で起こっており、鬼界カルデラに於いては「すでに次の巨大カルデラ噴火の準備過程に入ったと言えるだろう。」との見解を表明されています。
また「今この鬼界カルデラで、7300年前と同規模の超巨大噴火が起きれば、九州南部は高温の火砕流で覆い尽くされ、関西でも20cm、首都圏でも数cmの火山灰が降り注ぐ。まさに、日本という国家、日本人という民族の存亡の秋だ。私たちは一刻も早くこのマグマ溜りの大きさや形を正確に求める必要がある。」と警鐘を鳴らしておられます。
まあ、私のように南九州に住まう者が、もしも不意に破局的噴火に遭遇すれば甘んじて受けるより仕方がないでしょう。
数十分間でどこに逃げられる訳でもなし、例え地下に避難でもして一時的に生きていたとしても、地上は数百度にものぼる火山噴出物(火砕流)に厚く覆い尽くされます。
その冷える時間は長い長い期間が必要な訳です。
縄文のご先祖様と同様ですね。
鹿児島県に限らず、九州だけでも巨大カルデラは沢山存在しています。
またその多くがいまだに活動している状況ですし、破局的噴火については備えもなにもって、そう思います。
国家的存亡の危機!それはまさにそうでしょうが、この国の民族は遠い祖先からいくつもの巨大自然災害と共に生きてきました。これからも同じでしょう。
私の結論は、そん時はそん時だ!